ままぱれ

その土地の景色を見て、地元の人の話を聞いて、興味を広げよう。

その土地の景色を見て、地元の人の話を聞いて、興味を広げよう。

「地理学は暗記科目ではなく、地表面の様々な現象の場所ごとの特徴や差異を探究すること」
── 学校で地理を習っていた頃は暗記ばかりだったので目からうろこのお話でした。
また、今回の先生はお子さんが4人(!)いる子育てパパ。「子育てのアドバイスは自分がほしいくらい」だそうですよ。

横山貴史先生

その土地で暮らす個人の動きから見える地域の変化や在りかたは非常に興味深く、公になっていないような話がたくさん聞けるのもフィールドワーク(※)の醍醐味だと感じています。
※フィールドワーク:研究対象の現地を訪れ、その地域の事情を直接観察したり、関係者から話を聞いて、問題点を明らかにして、解決策を探ること。巡検。


横山  貴史 先生
茨城県出身。茨城大学卒業、同大学院修士課程まで修め、筑波大学で博士課程修了。神奈川大学、立正大学で教鞭を執った後、2023年4月から宮城教育大学へ。9歳、5歳、3歳、0歳の4人のお子さんを子育て中のままぱれ世代。

先生のご専門の分野と研究内容について教えてください。


 挿絵01私は人文地理学を専門としており、特に沿岸漁業や漁村に関心を持って研究してきました。漁師さんやその他の関係者から話を聞くフィールドワークを通じて、その漁業の変化や、彼らが自分たちのテリトリーである海をどのように使ってきたか、地域のルールを作り上げてきたかを研究しています。
 学生時代、大学院の修士課程までは函館市で、1960年頃から始まった昆布養殖業の養殖昆布と天然昆布との差別化や、漁師さんたちの生活の変化を調べました。また、この頃から宮城県の牡鹿半島で牡蠣養殖漁村の研究を始め、教員となった今でも続けています。例えば、ひとつの村とその隣村で漁法が違うことも多々あります。その違いがなぜ生まれたのか、その土地で暮らしてきた方々の話を聞き、人間活動だけでなく、自然環境や地形も含めて総合的に研究することが、地理学の面白さではないかと思います。
 牡鹿半島はリアス海岸(山地や丘陵の谷に海水が浸入してできた入り江が連なってみられる海岸地形)といっても内湾は限られていました。1970年代に入ると、そこに外洋の荒波にも耐える化学繊維のロープの登場をはじめとして資材の革新が起きたことで、外洋での養殖が拡大し、牡蠣養殖が盛んになりました。
 また、その一方で、漁師さん達は養殖漁場の利用の様々なルールを作っていきました。私たちには海は均質な空間に見えますが、話を聞くと、漁師さん達の海に関する認識の豊かさに気づかされます。

授業ではどのようなことを教えているのですか?


 地図や地形図の使い方や、GIS(地理情報システム:コンピュータ上で様々な地理空間情報を重ね合わせて表示するためのシステム)での地理的なデータの分析やフィールドワークに力を入れています。自然地理学の先生のゼミと合同で、5月は1泊2日で牡鹿半島や東松島市の宮戸島で地質や海洋の様子、漁業などについて理解を深め、8月には3泊4日程度で塩釜市の浦戸諸島に滞在しました。インターネットで様々なことがわかる昨今ですが、学生には実際にその地域に赴き、五感を駆使していろいろ感じてほしいです。その土地で暮らす個人の動きから見える地域の変化や在りかたは非常に興味深く、公になっていないような話がたくさん聞けるのもフィールドワークの醍醐味だと感じています。
 授業とはまた別に、私は学生時代の博士論文の調査で関わった牡鹿半島の牧浜(まきのはま)や福貴浦(ふっきうら)が震災から復旧していく過程のモニタリングを続けています。また、10年ほど前から南米のチリの漁業に関する調査も始めました。チリは海岸線が長く、特に南部はフィヨルド地形で入り江に恵まれ、三陸地域と似ています。小規模な漁師さんも多く、地震も多いなど日本と地域条件が似ているため、比較すると色々な発見があります。

先生は2020年に発行されたフィールドワークの安全対策に関する本に寄稿されています。東日本大震災の時はどちらにいらしたのですか?


 挿絵02震災当時はまだ茨城県の筑波大学の院生で、石巻市の中心部から車で40分くらいのところにある、牡鹿半島の福貴浦集落(ふっきうらしゅうらく)の漁港で、地域の昔のことをよく知る方からお話を伺っている最中でした。あまりの揺れや地鳴りに最初は何が起きているのかわからないし、当時は地震が起きたら津波が来るという考えにも及ばず、どこに行こうか迷っていたところ、地域の知り合いから「津波が来るから(指定避難所になっている)小学校に行け」と言われ、難を逃れました。
 発生から2日後の3月13日の朝、道路が瓦礫で寸断されていたため、石巻市内に向かう小学校の先生方と一緒に内陸部のホテルまで徒歩でたどり着き、14日の朝になって両親や大学に無事を知らせました。そのホテルで東京からレンタカーで来ていた人と出会い、5人のグループで山形を抜けて新潟駅から東京を経由して茨城県の自宅に帰ることができました。それ以来現在も継続して、漁村が震災から復興する過程を定期的に調査・発表しています。
 昨年の元日に能登半島地震が起きましたが、能登も小さな漁港や漁村のある地域です。漁港が4メートル隆起(りゅうき:高く盛り上がること)して船が着けないという報道もありました。東日本大震災の時も復旧・復興のために補助金などの動きがありましたが、活用の仕方には地域差がありました。地域ごとの事情や強みがありますので、当事者たちの意見や考え、知恵が優先されるような復旧・復興の仕組みが大事だと考えています。

最初のお子さんが生まれた時、当時勤めていた大学で男性教職員として初の育休を取られたとのこと。今後子どもたちと共に打ち込みたいことはありますか?


 挿絵03面白いことや子どもたちが喜ぶ場所をどんどん開拓していきたいですね。私が子どもの頃、親が色々なところに連れて行ってくれました。近隣の漁港などで釣りをしたり魚を買いに行っていたので、その経験が今の研究に繋がったのかもしれません。魚を1匹まるごと買えば、母も楽しんで捌いてくれました(たぶん)。自分も子どもたちに同じことをしてあげたいので、ちょっと大変かもしれませんが頑張ります(笑)。
 自分の周りや地域に関心を持ってほしいので、私が子どもの頃のように、親としてできるだけ色々なところに連れて行ってあげたいと考えています。最近は学校の統廃合などで通学も車になったり、共働きの進展などで外遊びの時間が少なくなったりと、ますます身の周りの地域に関心を持ちづらくなっている子も多いのではないでしょうか。だからこそ、身の周りの本当に何気ない景色をしっかり見たり、車から見える景色も意識して車中の話題にすればいいかなと思っています。そういう色々な経験が興味に繋がっていくのだと考えながら子どもたちと接しています。

掲載年月/2025.01

  

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